倉田白羊 油彩 風景画 板絵 約3号 原画 節約 真作保証 1点物

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☆作品について 物故巨匠倉田白羊画伯の旧作を入手致しました。 板が経年の歪みと3号よりも小さい為、額装から板に3mm程度の隙間がございます。 油彩の方にはまったく問題はございません。 とても深くて抽象的な作品です。 ご覧になって頂ければ他は望んでおりません。 ☆東京文化財研究所 東文研アーカイブデータベースより ☆倉田白羊 没年月日:1938/11/29 分野:洋, 画家 (洋) 読み:クラタ, ハクヨウ※、 Kurata, Hakuyo※ (※を付した表記は国立国会図書館のWeb NDL Authoritiesを典拠とします)  春陽会々員、元日本美術院同人倉田白羊は宿病の糖尿病のため11月29日逝去した。享年58歳。  本名重吉。浅井忠の門人で、明治34年東京美術学校を卒業後太平洋画会々員、雑誌「方寸」同人、日本美術院同人を経て大正11年同志と共に春陽会を創立して現在に及んだ。文展の「つゆはれ」、院展の大作「冬」等は青年期の代表作で穏やかな構想に成るが、大正12年以降信州の山村風物を主題として、比較的小品に於て厳格な客観描写を追求した。昭和9年以後、大作の製作へ掛り、「たそがれ行く」「たき火」「冬野」を次々完成、独自の格調を築き上げたものである。 略年譜 年次 年齢 明治14年 12月25日儒者倉田幽谷の末子として埼玉県浦和に生る 明治27年 13 中兄の弟次郎没するに及び、其の遣業を継がんことを志して親戚浅井忠の門に入る。弟次郎は浅井に師事し、明治美術会の会員で同年24才を以て夭折した 明治31年 17 明治美術会の準通常会員となり、同年東京美術学校に入学、浅井教室に学ぶ 明治34年 20 同校洋画科専科を首席卒業。群馬県沼田中学校に奉職 明治35年 21 1月太平洋画会創立、その会員となる 明治37年 23 沼田中学校を辞職、時事新報社に入社 明治40年 27 文展第1回出品「つゆはれ」 明治41年 28 文展第2回「牝牛」 明治42年 29 時事新報社を退社 明治43年 30 文展第4回「小倉山の微雨」同年より翌年にかけて雑誌「方寸」を編輯す 大正元年 32 文展第6回「川のふち」 大正3年 34 新画材を求めて小笠原島に移住、押川春浪同行す。当時春浪の主筆たりし武侠世界社に関係して居た。同年薯書「洋画の手ほどき」発行。 ☆記載しきれません。

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